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2016.04.28
チェルノブイリ原発は、今年、事故からちょうど30年を迎えます。福島第一原発の事故から5年が経過しましたが、原発事故を経験した私達にとって、チェルノブイリの30年後の再生には、特別な思いがあります。チェルノブイリ原発と、隣国ベラルーシでそれぞれ開催された追悼式典に、日本政府を代表して出席しました。
日本はこれまでG7諸国と共に、チェルノブイリ事故後の国際協力に積極的に参加してきました。事故の起こった4号機を覆ったコンクリートの石棺の老朽化に伴う新たなシェルターの建設や、事故後も10年近く稼働していた1~3号機の使用済燃料の中間貯蔵施設の建設が、今なお途上です。30周年に先立って、G7議長国の日本が主導して行われた会合では、新たに4,500万ユーロの拠出を決定し、日本も350万ユーロの拠出を表明しました。
隣国ベラルーシの首都ミンスクで行われた国際会議では、ベラルーシやロシアの非常事態大臣や、国連開発計画(UNDP)の代表と並んで、私も基調講演をしました。特に声を大にして訴えたのは、「Japanese foods are safe!」、日本産の食品は安全だということです。震災後、多くの国が日本産食品への輸入制限を行い、いまだに規制の一部が残っています。風評被害によって復興が思うように進まないという歯がゆさは、ベラルーシやウクライナがまさに経験したことでしょう。
チェルノブイリ原発は、ウクライナの首都キエフから北に約110kmの所にあります。緑の林の中のデコボコの一本道をバスで片道2時間走って到着しました。30年目の日、チェルノブイリには冷たい雨が降っていました。G7各国の代表や欧州復興開発銀行の方々と構内を回りました。事故の瞬間に時間が止まったような、当時建設中だった5、6号機や、石棺が崩れかけた4号機、ニューヨークの自由の女神がすっぽり入ってしまうという建設中の巨大な新シェルターや中間貯蔵施設を、目の当たりにしました。ポロシェンコ大統領もヘリコプターで現地入りし、日本のウクライナ支援への感謝の言葉をいただきました。
30年を節目に何かが変わるというわけではなく、安全を取り戻すための地道な努力はこれからもずっと続きます。将来、科学技術の進歩によって、原子力への不安が完全になくなる日が来ることを心の底から祈りながら、犠牲者の碑に献花しました。