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2016.04.08
キルギスの次に訪れたのは、中央アジア最大の国、ウズベキスタンです。飛行機がタシケント空港に近づくと、国旗の色のとおり、青い空と緑の樹木の美しい景色が広がっていました。豊かな地下資源と野菜・果物に恵まれ中央アジアで最大の人口を有しており、しかもその半分以上は30歳以下の若者という、高い可能性を持つ国です。日本はかねてより、電力、インフラ整備、医療、人材育成など様々な分野で経済協力を行っていますが、昨年秋の安倍総理訪問の際には、日本の大手企業数十社のトップもタシケントを訪れ、さらなる経済発展に向けて協力の機運が高まっています。
ウズベキスタンは政治的に非常に安定した国で、カリモフ大統領が独立以降24年間にわたって統治しています。今回はその側近中の側近であるカミロフ外務大臣、ガニエフ対外経済関係投資貿易大臣、アジモフ第一副首相兼財務大臣と会談しました。アジモフ第一副首相との会談では、長きにわたって国づくりに関わられたなかで、エネルギー技術などで世界の数ある競合メーカーの中から日本企業を選んだこと、独立して間もなく国の金融システムをつくる際に日本の大蔵省を模範にしたこと、そして教育が国の未来を左右することなど、国家戦略を熱く語ってくださいました。
経済の構造改革と産業の多角化を進めるウズベキスタンですが、資本主義経済への移行には様々な課題があります。また、ウズベキスタンは隣国も全て内陸国で、海に出るまでに少なくとも2つの国境を越えなければならない二重内陸国であり、物流コストはビジネスを行ううえで大きなハードルです。現地で奮闘する日本企業の方々と意見交換をさせていただきました。
ウズベキスタンが親日的である背景には、第二次大戦後にシベリアから25,000人もの日本人抑留者が強制移送され、様々な建設工事などに関わったという歴史があります。有名なナボイ劇場の中を拝見しましたが、建物全体が美術館ではないかと思うほど、素晴らしいものでした。ウズベク人のジャリル・スルタノフさんが私財を投じて作った日本人抑留者資料館には、抑留者の方々が現地の人々のために作ったゆりかごやハサミ、肖像画やスプーンが飾られていました。25,000人のうち812人は、日本に戻ることができずウズベキスタンで亡くなられたそうです。どんなに日本に帰りたかっただろうか。日本人抑留者墓地には、タシケントで亡くなられたお一人お一人の名前と出身県が刻まれていました。昨年の秋に安倍総理がされたのと同じように、墓碑の前で「ふるさと」を歌いました。
ウズベキスタンでは、常に1,500人以上の人々が日本語を学習しています。今回の訪問では、日本語学習や日本文化のさらなる普及のために、安倍昭恵総理夫人が世界各国に寄贈されている日本語の書籍『昭恵文庫』を、ウズベキスタン日本センターと東洋学大学と世界言語大学に贈呈しました。
ウズベキスタン日本センターでは、日本語の授業や日本の経営手法を学ぶビジネススクールが開催されていますが、大人気で募集定員の3倍を超える応募があるそうです。ビジネススクールには起業を目指す若手が集まり、卒業生にはポテトチップスのベストセラー「サムライ・チップス」を生んだ方もいます。和やかかつ真剣な学生さん達の姿から、ウズベキスタン経済の将来の飛躍を予感しました。
帰りは夜10時発、ちょうど週1便のウズベキスタン航空の日本直行便に乗ることができました。ウズベキスタン人の乗務員の方の日本語アナウンスが、とても流暢だったのが印象的でした。たった7時間、ひと眠りしたところで成田に着いて、自宅に荷物を置いた後すぐに衆議院本会議に直行しました。明日の午後はいよいよ、G7外相会合の応援で広島に向かいます。