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2013.10.08
一樹百穫:派閥、ヨコ重視に変化=専門編集委員・松田喬和
出典:毎日新聞 2013年10月08日 東京朝刊5面
安倍晋三首相の政策に異論を唱えたり、けん制したりする声が自民党内からほとんど聞こえてこない。議論百出といった多様性や活気は感じられない。小泉純一郎元首相の「原発ゼロ発言」が目立つのは、当たり前の状況だ。
先月末、石原派が福島市で開いた研修会をのぞいた。会長は1年前、安倍と総裁の座を争った石原伸晃環境相。石原は講演で「安倍政権を支え、山積する課題に取り組む」と、静観の構えだ。出席したメンバーからは何の異議も出なかった。
派閥抗争が激しかった1970〜80年代。「このシャバはキミたちの思うようなシャバではない。親分が右といえば右、左といえば左なのだ」。田中派幹部だった金丸信元副総理はこう広言していた。
派閥政治に反発した若手たちは、派閥をまたいだ「政策集団」を作った。その一つ、「新生クラブ」の座長だった藤波孝生元官房長官は当時、「派閥抗争という戦争で傷ついた同志の癒やしの場。野戦病院だ」と表現した。親分子分のタテの関係でなく、ヨコのつながりを求めた政策集団と、今の派閥はよく似ている。
1年生議員に、派閥に入った理由を尋ねた。公募候補だった山田美樹(衆院東京1区、39)が町村派に入会したのは、「イロハ」から選挙の指導を受けた通産省の先輩、町村信孝、細田博之両元官房長官との縁だそうだ。山崎拓元幹事長の地盤を受け継いだ鬼木誠(衆院福岡2区、40)は、かつて山崎が率いた石原派に入った。滝沢求(もとめ)(参院青森選挙区、54)は地元選出の大島理森元幹事長が会長の大島派に加入した。いずれも「選挙優先」の選択だ。
滝沢は「派閥は勉強の場だ」。山田は「逆風でも選挙に勝ち続けることが当面の使命だが、大局的な政策を打ち出したい。ただ、それも1人では無理だ」と語る。派閥の政策集団化は当然の帰結かもしれない。(敬称略)
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