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2023.09.25
中東オマーン国の首都マスカットで開催された Public Cleanliness Symposium (公衆衛生に関するシンポジウム)で、” Transition to Clean City – Japan’s Experience” と題して講演しました。
オマーンはアラビア半島の右側、ホルムズ海峡を挟んでイランと向かい合う位置にあります。
私は2016年に外務大臣政務官としてオマーン経済フォーラムに出席したことをきっかけに、日本オマーン友好議員連盟の事務局長を務めています。直近で環境副大臣を務めていたことからシンポジウム出席の要請をいただき、旅費・宿泊費ともにオマーン政府の負担で招聘いただきました。
シンポジウムはオマーン国環境庁の主催で行われ、オマーン政府の関係省庁や地方自治体、ユニセフや、シンガポール、カタール、サウジなどからの企業や有識者が集まりました。冒頭で、オマーン政府が進める「空気と土と海をきれいにするキャンペーン」について映像で説明があった後、私から日本における廃棄物処理について英語で講演しました。オマーンでは廃棄物処理が社会問題になっており、日本のような清掃の行き届いた街にするためのヒントを教えてほしい、というのが講演を依頼された趣旨でした。その内容をかいつまんで報告します。
①廃棄物の歴史
日本の街がきれいな理由は、日本人の教育やしつけが行き届いているから、といわれます。しかし戦後の歴史を振り返ると、必ずしもそうではありません。
1940年代は家庭からのゴミ(一般廃棄物)の処理の体制が整っておらず、公衆衛生の向上が課題でした。高度経済成長が始まった1950年代以降は産業廃棄物が急増し、規制強化が緊急の課題となりました。1971年には当時の美濃部東京都知事が『廃棄物との戦い』を宣言し、廃棄物処理施設の建設が急ピッチで進められました。
現在のゴミの分別のシステムは、国と自治体と住民の協働の結果生まれたものです。2000年を境に一般廃棄物は減少の一途にあります。
②法制度と技術
日本では、政府が自治体と企業と住民と協力して法律の制定と改正を重ねてきました。その流れは(1)公衆衛生の改善、(2)公害防止と環境保護、(3)循環型社会の形成の3つの時期に分かれます。
日本の廃棄物処理とリサイクルに関する法体系は、1994年に制定された環境基本法を根幹としており、2001年制定の循環型経済社会形成推進基本法の下に、廃棄物処理法などが整備されています。リサイクルについては、包装、家電、建設廃棄物、自動車などそれぞれの製品の性質に応じて個別のリサイクル法が整備されていますが、2022年にはプラスチックのライフサイクル全体に着目して、プラスチック資源循環法が制定されました。
廃棄物処理施設も高度化し、焼却によって廃棄物を10分の1の体積に削減し埋立の容量が格段に拡大しました。廃棄物発電も広く普及し、近年はアラブ首長国連邦などにも日本の廃棄物処理技術が輸出されています。
日本には2011年時点で既に1,000を超える廃棄物処理施設があります。安心安全への信頼が確立しており、住宅街にも建設されているのは高い技術があってこそです。1970年代には『福岡方式』と呼ばれる半好気性の埋立技術が導入され、埋立後の土地の公園や公共スペースへの活用が広がりました。
③社会的行動と草の根活動
日本語の「もったいない」という言葉は海外にも広がりつつあります。モノそのものだけでなく、そのモノを作った人に対する敬意を表した言葉です。ゴミ削減とリサイクルへの住民の理解を深めるため、自治体はゴミの分別方法を周知するなど様々な取組を行なっています。横浜市では小学生達がゴミ収集車を前にしくみを学んだり、長野県や山口県など子ども達の環境教育に力を入れている自治体もあります。
もう一つ欠かせないのが自然に対するマナーです。日本では1972年から尾瀬国立公園で『ゴミ持ち帰り運動』が始まり、今でも続いています。また、毎年8月の第1日曜日は『国立公園クリーンデー』と定められ、2016年には31,000人もが全国の国立公園に集まって149トンものゴミを回収しました。
こうして日本の廃棄物処理の歴史を振り返ってみると、廃棄物との戦いは国を超えて共通の課題であることを再認識します。日本がしてきたことは、①時代の変化に応じて法制度を制定・改正してきたこと、②政府と自治体、企業、住民が協力を重ねてきたことです。
講演後、オマーン環境庁の方々からは、ゴミの分別収集について、誰が決めるのか、どこが費用負担をするのかなどの具体的な質問や、日本の環境省から知見やノウハウを共有できないか、など様々な質問や要望が寄せられました。廃棄物処理も日本が世界に誇る技術やノウハウのひとつであり、日本人の国民性とともに世界に広げ伝えることで、日本の国際的な地位がさらに高まれば、と願っています。
現地の大手英字新聞に掲載。「日本からの特別講演」として紹介されました。